令和6年8月27日(火)・28日(水)に大巌寺にて「令和6年度 大巌寺研修」を実施しました。
目的
本研修は、新たに入職をした本務教職員を対象に浄土宗に関する教養を高めるとともに、勤行、礼拝、作務、食作法など宗教実践を通じて本学園の教職員としての素養を身につけることを目的とし、本学園の「建学の精神」すなわち大乗仏教精神(利他共生の心)の理解を深める機会として実施をしています。
内容
淑徳大学千葉キャンパス1号館にある淑水記念館、大巌寺にある宝物殿の見学や学祖墓参、大巌寺で行われた作務、護摩焚きや吉水岳彦先生(東京教区光照院住職)をお招きし六座のご講話を賜りました。吉水岳彦先生の講話では、受講者に対して様々な問いかけをしていただきました。
≪受講者の感想≫
私が最も共鳴したことは、「共存はたし算、共生はかけ算」という吉水先生からのお言葉である。大学着任後、「共生」という言葉は何度も耳にし、単に人と人が共に生きるという意味であると捉えていた。しかし、親からの10の恩にもあるように、自分の命は自分のものとは言い得なく、多くの人々との関わりの中で自分というものが積み重なって成していくものであり、それこそが共生なのだと理解することができた。
研修を通して「私らしさ」について深く考えさせられた。この「私らしさ」という概念は一般的には個人の内面から湧き上がる独自のものと捉えられがちである。しかし、仏教の教えから見ると、私たちの「私らしさ」は周囲の環境や他者との関わりの中で形成されていることに気づかされる。例えば、歩き方や所作が他者と似てくるのと同様に、私たちの思考や性格も、多くの出会いや環境の影響を受けて形成されるものである。この視点から、教育者として生徒に提供すべきは、多様な環境や経験であると感じた。生徒が自分らしさを見つけ出すためには、様々な経験を通じて自ら選択し、自らの道を模索できるような教育環境を整えることが必要である。これにより、生徒たちは他者との関わりや環境から学び、より豊かな「私らしさ」を育むことができるであろう。
「月影」は幼稚園では毎朝歌っている。この歌には「仏に照らされると自分の足下が見える。他人がいないと自分が分からない。」という意味があるそうだ。今まで何となく歌ってしまっている歌が多くあったが、歌の意味を理解し、子どもたちにも伝える事で日々の朝礼も変わってくると思った。また、仏様が光を照らしてくれるおかげで私たちは自分の心の中が照らされ、自分の気持ちなどに気がつくのだと思う。法然上人の教えに「人の心は分からないからこそ尊敬と敬意を持て」 とある。日々の保育の中でも仏様のように優しい心を心がけ、子どもたちの声に耳 を傾けて寄り添っていきたい。また仏教は本当に平和からなる思想だと思った。その「共生」という言葉が改めて良い言葉だと思う。人間や動物、植物と無限の繋がりがあり、色んな人のおかげで生きているということを子どもたちにも伝えていきたい。
本研修を通し、最も学びが深かったことは作務(掃除)である。普段自分の部屋を掃除することはあるが、それは自分のためであって、誰かのためにではない。また大人数で掃除することは、学生以来であった。「きれいにする」という単純な作業だが、こういった研修の場で行う掃除はまた違った意味合いを持つような気がした。